三時間の使い方

 冬になったら、ロシアの小説を読みたくなります。なぜなら寒いから。

 

 

 

 

 

 

 ドストエフスキーのことをわたしは敬意を表して「ドス兄」と呼んでいます。社会主義とか賭博とかてんかんとか色々あって、はげてるけどヒゲとうしろ髪は伸ばしたりして、小説書いて、生きて死んだドス兄ですが、なくなる日の朝、

 

「三時間考えたんだけど、たぶん俺、今日死ぬと思うねん」

 

 と言って、昼前に体調が悪くなって、夜に死んだそうです。

 

 

 

 

 

 

 なかなかこんなしっくりくる死に方ってない、凄いなと思うとともに、死ぬんやったら三時間他のことに死ぬ前の時間を使った方がよかったんじゃ、と思ったり、死ぬ前の数時間の有効な使い方ってなんやねんと思ったりするわけです。